セルフポートレイト1
- 莉江 藤田
- 2016年12月13日
- 読了時間: 2分

写真をはじめた当初から、セルフポートレイトを撮っていた。 「心象風景」という言葉を知った頃、「心模様を写すなら、今のわたしなら敢えて外に風景を探しに行くまでもなく、わたし自身の姿が心模様そのままだ」と、思って、撮り始めた。 セルフポートレイトという言葉があるということも知らなかった頃かもしれない。 * わたしのセルフポートレイトを好きだと言ってくれるひとがちらほらいた。 今もそう言ってくれるひともいる。 けれど今は、そう言われると結構複雑な気持ちにもなる。 写ることで表現しうる事が、写す事で表現しうる事に、まるで、負けている気持ちになってしまうから。 まるで双子の姉が褒められたような気持ちになる。 ああ、またお姉ちゃんか、みたいな。 ことばを好きといっていただく事も時々ある。 これもまた、ああ、またお姉ちゃんか、と思う。 勿論、全部、一人の自分自身なのだけれど。 (勿論、そう言っていただく事は嬉しいのだけれど) * 写真をはじめたころ、ポラロイドが特に好きだった。 風合いとかタイムラグが有って無い面白さとか、そのへんもひっくるめてだけど、やりながら「いいな」と思ったのは、間に一切ひとの手が入らないで済む事。 感想は全て自分だけのものにできる事。 褒められても「それはお店のプリントがよかったから・・・」とか思うのが嫌だった。 人から何か、自分のナカミの部分を褒められる事が、それまでほぼ無かったと思う。 信じられなかったのかもしれない。 セルフポートレイトをはじめた後、被写体を経験する事がしばらくあった。
そこで感じた事もあり、被写体を辞めた後のセルフポートレイトにはいつも、腹の底から
「お前ら(撮り手)には負けてたまるか」
とかいうような気持ちが強くありすぎてギラギラしていた。 今でもセルフを撮る時はそう思って撮っている。 けれど、打ち負かしてもらえる幸せも知ってしまったから、この頃みたいには、もう強気ではいられなくなってしまった。
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