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ひととことばを交わすことを避けようとすると、ネットというのはとても難しい場所になる。 発信、しているというつもりはあまりなく、ただ紙とペンで済ませない。 一応、というくらいの曖昧なやる気で、こんなかたちで人前に居る。 深層心理では、「見つけて」と思っているのでは?という問いには首を傾げつつ、どうだろうかと思う。 ただ「確認」したいひとは、どうぞ覗いてって、くらいの気持ち。 死んでません生きてます、何かしらしています。 ただでさえ大混雑の荒波に押し出すように、情報をぶち込んでいく様に、つかれる。 石でちいさく囲った川の一部を、凪の様にして、そこに居たい。 昨夜、少しことばが戻りそうになって、戻ったと同時に、わかるのは現状のまずさで、ちいさくおののいた。 何かが引きつりそうになったので(もしくは完全にとまりそうになったので)、とりあえずまずいと思って風呂に入って、湯船で1番小さいサイズの発泡酒を飲んで、口笛吹いて、あがって、台所で皿とコップをひとつづつ洗って、トイレ掃除をし、ハンガーに服をかけてネガをいくつか台紙に貼り付けた。 1時をまわったあたりで眠くなったので眠った。 実家の母のクローゼットに、自分のお気に入りの服が何枚かはいっていて、すっかり忘れてた!これもこれも、これも!と、懐かしさと嬉しさで目元を細めながら服を漁る夢を見た。 インターホンの音で目覚めた。 11時近かった。 自分で再配達を依頼した本2冊だった。 最近「今そこ?!」みたいな写真集を見たい欲に駆られて、少しづつ買ったりしてしまっている。 今そこ?!と思うのは、自分が自分だからそう思うのであって、別におかしくはないような気もするが、なんとなく、自分で自分に驚いたりしたから。 そうか、今か・・・ と、他人事みたいに、思う自分がいる。 だからなんだ、とも思う。 だが、だいたいがそんなものだ。 「だからなんなんだ」 もう、けっこう大丈夫かもしれないな、と思いつつも、別に人の視線のあるなかに自分はいなくたっていいじゃない、と思う。(作ったものさえあれば) 揺れる、こういった特性(とはいえ誰しも大なり小なりそうなのだろうけれど)の自覚がありつつ、それを心配されるのが無性に辛いと思いつつ晒し居るのはなんだか違うだろう。 つくったもの、吐いたことば。そのあたりのものは、もちろん、どこかに提示する。 ゆるやかな流れのなかにいきているしあわせを。 あまり明るいその場所よりも、すこし仄暗さのあるところから、静かに微睡みながらみつめていたい。 その明るさを知り そのひかりのちから尊さを知り。 きっと

「視たい」 が、強すぎて。

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