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たくさんの恩人のうちのひとり


恩人、と呼べる人が、かなりたくさんいる。 何年もかかわってくれているひとから、ほんの短期間だけかかわって今は音信を取り合わないひと、状況的には「恩人」と呼べるのだろうけれどもそののちにあったことからそうは呼べなくなったひとまで様々だ。 ふと、仕事関係で出会ったひとりの恩人のことを思い出す。 直属という意味ではたった1週間か2週間のかかわりだった上司。T主任。 勤め始めて2週間と経たない頃に、人手の問題でどうしようもなくてごめんと言われながらの部署移動でわたしはその部署と上司のもとを離れたのだけれど、その後そう長くはない時間ののちに、その上司は体調不良で退職した。 若かった(そう年配ではなかった)が、病気があったそうだ。 もう7年ほど前になるのではっきり覚えてないが、腕にもなんらかの大怪我のあとのようなオペのあとがあった気がする。 その頃、病み上がりでほぼまともにナースとして勤めた経験もなく、仕事でなにもできなかった自分はあまりに自信がなく、本気で右も左もわからなかった。 ただ、慌ただしくピリピリとした急性期看護が性に合わず、介護療養の看護へ転勤になり、それは自分が希望したわけでもなかったので、ほんとうに、なにもわからないまま流れ着いた場所だった。 そんな頃に、たった2週間弱、心を砕いて接してくれた上司がいて、その後に、その上司のもとを離れても丸6年勤めることができた。 確実にそのおかげで今、好きなことをしながら働き、自由でそれなりに自立できたのだと思う。 2週間でなにができるのか、というと、「すべてわからないことは聞いてもいい」と許可をくれ、ほんとうにすべてなにを何度聞いてもいつも同じ笑顔で答えをくれ、正しいことには「それで大丈夫」と太鼓判をくれ、いつでもなにか声をかけてくれること。 そしてどんなにくだらない1つでも、できる、とわたしが自信をもったものから独り立ちさせてくれた。 それでできるようになったことは、その「くだらない1つ」ではなくて、上司とのコミュニケーション、なのだと思う。 聞くとそれだけで怒られる、ということが多い世界。 それなのに、聞かないと怒られる世界でもある。 調べればわかることは聞いてはいけない。 自分で判断できないと判断したことは聞かねばならない。 そのあたりのさじ加減は上司の人間性やら機嫌やらにも大きく左右され、自身のキャラクターにも左右され、しくじれば人命がかかっているということが別方向からの重みとしてあり、いろいろな場面において模範解答がない。 兎に角、空気が読めない者にはほんとうに辛い環境である。 空気すら読めればなんとかなるとも言えるほどに、空気が読めなければならない。 その後、次の上司となった上司にもかなりよく面倒をみてもらったが、恩人上司がいなければ、絶対にうまく関われなかったと思う。 わたしはそこで、上司に大げさに甘えることを覚えた。 怖い上司だったが、甘えられるのが実は好きな上司だった。 上司に甘やかされたことがそれまでなかったのだが、知らぬ間に恩人上司に甘え方も教わっていたようだった。 その奇跡の2週間の後も恩人上司とは更衣室が近かったので、度々会った。 「最近どう?」というようなことを聞いてくれ、 その度に、奇跡の2週間の間にすら言っていた魔法の言葉を言いつづけてくれていた。 「あなたはすぐ教える立場になるから、そのつもりで今から覚えなさいね」 それを、ほぼ最初っから笑顔で言いつづけていた。 バカみたいに1から10まで訊ねる新人に、そんなことを言えるってすごい。 期待せねばひとは育たない、という言葉はその後で知った。 連絡先も知らないので、お礼も、改めていうことは叶わないけれど、どの仕事をするにしたってその背中を忘れずに働いていこう、とは、思っている。

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