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次の出国の手続きを、少しずつ、漸く、やる。 VISA、今更だけど、取れてるよね?? と、PDFでさらっと送られてきた書類には少し不安がある。 最悪、VISAがおりてませんよとか言われちゃったら、12週の留学、で、終わってしまう。かも。 35歳までに伸びるかもしれないこれからのAUSのワーホリの年齢制限。 今回逆に、VISAとれていなかったら、それが本格決定してから再度数年以内に申し込んで改めて出発、なんてことに、なる、可能性がゼロではない。 まあ、それもそれで、いいんだけれど。 (いいんだろうか) さっき、仲介をしてくれる会社へパスポートやら、そのVISAやら、データを送ったところ。 今週末頃、改めて学校への書類やらなんやらの手続きが進む、はず。 したくなかったホームステイも結局するはめになりそうで、4週間、ここはすでに不安。 このまま全てうまくいけば、出国は1月4日か5日あたり。 32歳と33歳の誕生日をAUSで迎え、2019年になるかならないか、34歳になる少し前に帰国する。・・・のかな。 いやになって半年で帰ってくるかもしれない。 別にそれはアリだと思っている。 1年で戻ってきて、しばらくしてからもう一度行くテもあるのかもしれないけれど(セカンドワーホリも、35歳までに引き上げられるのならね、というか、現状のセカンドワーホリも、まだ制度はよくわかっていない) 全く未知数なこの先。まあ、それは国内にいてもいなくても変わらない。 少なくとも住処は京都ではなくなり、職場も京都ではなくなる。あと約一ヶ月で。 きっと、海外へたかが1、2年行っても大きくは変わらないのだろうけれど、行かなくても大きく変わらない、というそれは同じで。 じゃあまあ行けばいい、そう思う。 気がかりはほんと、じいさんばあさん。 ばあさんは、けっこうボケてきちゃってるけど、元気だ。

すっかり子供みたいになってしまったばあさん。 母に甘えきって、ワガママ放題を言い、なんなら、母の子供のようになってしまった。 生きているのに、もう、昔のばあさんには会えないのか、という当たり前のことに驚いた今年。 去年末はまだ、こんなにボケちゃいなかった。 わたしのことを忘れてはいないのだろうが、ひょこっとお見舞いに顔を出しても、顔を見て10秒ほど止まる。 自分の祖母に対する、というより職場で患者に接する時のわたしで、おばあちゃんに対応してしまう自分がいる。 年末から足腰の弱りが著名になり、わたしがフィリピンにいる間に入院し、つい最近はもう自力の座位保持が困難になったじいさん。 ほぼ、頭はクリアな93歳(たぶんあと数日で。というか、誕生日、明日だっけ?) 大阪につれてくる、といっていたのに直前で本人がごねて取りやめに。 あともう、10回も会えない気がする。 2年という期間、元気だとは思えないし、半年先もわからない。 今生の別れを覚悟して出国するということ。 それは、自分だけがそう思っているならある意味我慢できるかもしれないが、じいちゃんにもそれをほぼ突きつける形で、「最後の会話」みたいなのをしないといけないのかと思うと、本当に酷な気がするし、なんと言っていいかわからない。 ばあちゃんには泣いて悲しんでも「生きてるうちに帰ってきますよ」と笑って言えるけれど(まあ、実際はわからないけれど)じいさんにもそう言うんだろうけれど(というか、2年間がんばっててよ、と)心の中でお互いに無理なのだろうと思いながらうわべの会話をする、のも、気が重いよな。

母はフィリピンの6週間がやけに短かく感じたことがわりと気を軽くしているようで、あまり寂しそうではないし「なんとかして遊びにいく」と、それを楽しみにしている。 たかが2年海外にいくだけ。

それは大きな問題だとは思わない。

その2年に、日本にいられないことでできないこと、ということは、やはりそれなりに問題なのだろう。

決めたのも自分、やるのも自分。

言っても、なにもかも、仕方ないけれど。

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