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  • 執筆者の写真: 莉江 藤田
    莉江 藤田
  • 2016年11月17日
  • 読了時間: 1分

ひとが、「寂しい」と言っているのを聞いて、

「寂しい」なんて、いつを最後に感じた気持ちだったっけ。と思う。

寂しい、ということばに含まれる寂しさというのは、寂しさに対して、一番小さいサイズな気がする。

寂しい、というものは物悲しい何かであるのは違いないのに、なんだろう、あってほしいものがない、とか、もっとあればいいものが足りないとか、つまりはまだそこに希望みたいなのがあって、まだまだ余裕がある気がするからだろうか。

例えば、おかずがたった1品なのは寂しい。

財布の中身が3桁、も、寂しい。

ただ、まあ、どんなに寂しいを塗り重ねても、寂しいということばしかないから、ひとは寂しい、というのだろうか。

言ったとしても、「寂しい」と思っていうのだろうか。

近似値的なこと、なのだろうか。

寂しい、だなんて、そういえば、思ったこと、あっただろうか。

 
 
 

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