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好きな写真

  • 執筆者の写真: 莉江 藤田
    莉江 藤田
  • 2016年12月13日
  • 読了時間: 3分

ばあちゃんがブレてるしピンボケだけど、この写真、好きだ。 いなかのばあちゃん家のお仏壇の前の風景は、幼稚園くらいにはもう記憶に定着していた。 ばあちゃんは、ご飯を炊くときに謎の石(おいしく炊けるためのアイテム)を炊飯器にいれて、柔らかめのツヤツヤご飯を炊く。 わたしはばあちゃんが作る日清のから揚げ粉(多分)を使った、ごくふつうのから揚げと、このやわ目のご飯の組み合わせが大好きだった。 あと、りんごとブロッコリーと薄焼き卵の胡麻酢和え。 帰るたびにリクエストした。 1度の帰省でばあちゃんの手料理を食べれるのはだいたい1、2回だけだった。 このばあちゃんは母方のばあちゃんなのだけど、父方の祖父母も、このごく近所に住んでいて(徒歩10分かからない)だいたいそちらに滞在していたから。 広さの面でも、建物の設備的にも完全に父方の祖父母宅が立派で、お正月などはここへ母の兄・妹家族が帰ってくると(面積的に)居場所はない。 けれどなんだかんだ田舎に長期滞在していた子供の頃は、色々作って食べさせてもらった。 夏にはバニラアイス、冬には太鼓焼きを一緒に作ったり、作ってもらったりした。 料理やお裁縫が好きだった子供の頃のわたしに、絶対危ないことはさせない父方の祖父母と違って包丁を握らせてくれ、ミシンをかけさせてくれ、バイクの後ろに乗せてくれ、だんだん畑の上までテーラー(リヤカーの前にバイクがくっついたみたいな農作業用車両)でお弁当もっていって食べたり、なにかと向こうではやらせてもらえないことをやらせてくれていた。 バイクに乗せてもらったとき、マフラーで足を火傷したときは相当怒られたが(多分わたしよりもばあちゃんが)そのあとまた乗せてもらえたかどうかは覚えていない。 確かばあちゃんが牛乳配達の仕事を辞めてしまったとき、バイクは処分されてしまった。 父方の祖父母もたいそうわたしに甘かった。 田舎に帰れば毎日が最高だった子供の頃。 従兄弟と海水浴をし、スーパーでああちゃん(父方祖母をそう呼んでいた)にお菓子を買ってもらって、じいちゃんと毎日犬を連れて夕方沖まで散歩に行った。

そう記憶に遠くなかったはずなのに、やはりだんだんと遠い。 ばあちゃんはすっかり一人で暮らせなくなってしまい、田舎から連れ出して大阪でホームにはいっている。 ばあちゃんのいるこの場所のこの風景は、きっともう見られない。 あまり、そういうものを撮ってこなかった気がする。 あたりまえに目の前にある「今」の生活みたいなものを注視するのは苦手なようで。 失ってから取り返しに行くように撮りに行くことの方が多い。 普段からカメラを手にしながら、愚かなことだと思う。 なんというか、あたりまえのしあわせを、しっかりかみしめるのではなく、あたりまえという顔で過ごしてしまうというしあわせ、というものがあると、少し思っている。

カメラを取り出すことで、それが「あたりまえ」に過ぎていく時間とは別の、なんというか、これから失われ行くと決まっているもののような儚さがうまれてしまう気がする。 撮らなければまた次があるような、そんな。 (実際、そんなことは関係ないのだろうし、すべては失われ行くのは決まっているのだけど) 半分は無意識的にそうなってしまっているのだけど、日常のしあわせという一番撮ることが自分のたすけになりそうなものを撮らずに、痛い思いを反芻するような写真の方が、遥かにたくさん手元にある。 いつかおばあちゃんになって、死ぬ前に自分が見て、いきてきてよかったなと思うような写真も、ちゃんと撮ってやりたいな。

 
 
 

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