session更新。
絵描きの友人、もうりひとみさん。 描く彼女を撮りたい、とお願いして撮らせてもらった。
「アパートメント」管理人のひとり、鈴木悠平さん。 ひょんなことから撮らせていただくことに。 これとは別の写真だけど、SNSのアイコンにご使用いただいていて嬉しい。
眠れなくて、先日夜中にごそごそ更新。 sessionコーナーに撮らせていただいたお二人を載せさせていただいた。 自分は「撮る」という目的だけで相手を呼び出したり相手のところまで行って撮影することは少ない。 ポートレイトは、自分にとってはすごくそのもの自体にストレスが大きい。
写真はなんとなくであっても撮れる。
ポートレイトも写真だ。
でも、なんとなくで撮っていいのか?という問いが頭を離れない。
それでもなんとなく撮ることもある。
なんとなくでいいときや、なんとなくだからいいときもある。
じゃあ逆に、ちゃんと撮るって?等々。
考えてもいい写真という結果につながるとも限らないし、全て振り切れた、集中を具現化したような体や眼になって撮る方が「いい」写真になる気がする。
刺すか刺されるかの、旗が降り上がった後の真剣勝負に、そんなことを考える余地なんてなくて当然でもあり、それでも一瞬頭をかすめるべき問題なのかもしれない。
だからこそ、日頃から考え続けるという必要がある。
答えは出ない、或いはある程度自分の中の線引きとしての答えを打ち出した、としても、まだ問い続ける義務があるような気がする。
まだまだ悩ましいし、考える度、なんとなくしんどくなってしまうのだけれど。 このどんよりとした何かを忘れずに、ひとを撮ることを少しずつは続けたいとも思う。 自分がうつすのは取り立てて身構えなければならないようなものより、「そのままその人」であると思う。 ヌードとか、そういう公的秩序云々が大きく問題になるからとかいう理由で身構える訳でもないんだよな。