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"Are you happy??"


今日は仕事もなく、昼前まで眠り、溜まった洗濯物を片付け、ゆっくり朝ごはん、ソファでネットの記事を読んだり寛いで過ごした。

ハウスメイトたちが全員出かけているようで、いい天気の庭にパソコンと本と紅茶をもってでて、この記事を書いているところ。 もう四月も半ばになるというのに、日向にでると天気のいい日はジリジリと肌が焼ける感じがする。 屋内は少しひんやりしていて、外のほうが暖かいので外にでて過ごす。 このところ、仕事で帰宅は0時半頃であることも多く、仕事の有無で少し生活にメリハリができた。 少し煩い、と言えるくらい鳥たちが囀り、すっかり秋へと変化している木々の葉がぱら、ぱり、と、音を立てながら降ってくる庭。

休みの日に、家で寛ぐ幸せをほぼ知らなかった。

出かけるのが好きなわけではないのに、「したいこと」が、外にありすぎて、それをこなすために家から出る。

その繰り返しで毎日過ぎて行く。過ぎてきた過去のぶんだけ、そんな日々だった。 基本的に、大きなしあわせ、というのは降ってくるようなことはない。 大きければ大きいほど、しあわせは足元から湧いてくるものなのだとおもう。 探しに行くまでもなく、もうそこにあるものに気づくこと。 そんなことはとうの昔から言われ続けているし、知らなかったわけではない。 それでも、気づいては噛み締め、また忙殺されて忘れ去って、ふと思い出す。

その繰り返しで、少しづつ基本的に自分はしあわせなのだと識ってゆく。 今、決して「楽」ではない日々だけれど、楽だけじゃないから、今、少ししあわせになった。 "Are you happy??" 時々、耳にする言葉。 日本人の感覚の「あなた、幸せ?」みたいな重い言葉ではない。 バスの運転手さんが徐に乗客みんなに、発車前に掛け声のように聞いてみたりする。 「調子どうよ?」くらいの軽さで、久しぶりに会った大家さんが聞いてくる。 頻繁に交わされる、なんてことない言葉の中に、ハッピー、という単語が組み込まれている。

そのことそのものが、ハッピーなことなのだと思う。

日本でいうしあわせ、ということばにも多様なしあわせ、それこそ、「帰宅後のビールがしあわせ」とか、「子供が賞をもらってしあわせ」とか「結婚が決まってしあわせ」とか「嫌な上司が転勤になってしあわせ」とか。いろんなしあわせ、って、もちろんあるんだけど。 けれど、それは個々人が感じるしあわせだけれど、確認しあうようなしあわせと少し違う。

かみしめるしあわせ、が、多い気がする。

自分はこういうことがあってしあわせなんだ、と自発的に言うことがあるけれど、しあわせを相手に尋ねる、なんてことをしない。

慮る民族だから、たとえポジティブなことでも、直接は尋ねないのかもしれない。 「嬉しそうだね」と言うことはあっても、「しあわせそうだね」って、確実にそうであろうとされる場面でしか使われない。結婚式とか、表彰式とか。

なんというか、ハッピー、というそのことばのもつ色々なものがわたしのなかで複雑な感情を呼び起こす。 "Are you happy??" このことばを聞くと、少し顔が綻ぶと同時に、胸にチクリと刺すものがある。 自然と耳にはいるこのハッピー、ということばに胸を疼かせている間はしあわせなのだと思う。

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