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沸騰する寸前に水を注されるのを繰り返されるように、思うところへゆけないでくるしい感じがする。 ひとと暮らして、ひとりになれないのはそんな感じ。 すっと勢いがついて、滑り落ちそうになっても、そこで落とさせてはくれない。 いつまでも、その場から足を離させてもらえないし、悪気なく、ふりだしに連れて行かれたりする双六の盤上にいるコマのような気持になる。 自分が振ったわけではないサイコロに、翻弄されるマスコットみたいな。 頭が回らないから、動かすためにずっと呟きつづけていたのを、そろそろ止められるかもしれない。 無理かもしれない、どうかな。 友人の写真をネットで見ていて、元気をもらう。 そのことを本人に伝える。 おいしいものはおいしい、すきなものはすき、いいものはいい。 それを遅くなりすぎずに伝えらることに、しあわせを感じる。 わたしは震災のあと、津波の警報、あいしたひとのいる町の名前をニュースが読み上げるのを聞いて、心底こわかったのだった。 もう別れて何年も経ったとき、連絡も取らずして何年も経った時、けれど、毎日のように、死ぬまでにもう一度目の前に立って話がしたいと思っていた。強く夢見ていた。 正確にいうと、それができるわたしになりたかった、から、それを目指しながら歯を食いしばって泣き暮らしていた数年があって、なんというか、元気に生きていることを見せたかった。 別れた理由がお互いが元気ではなくなってしまったから、だったから、別れを切り出したあなたが正解だったと証明したかった。元気なわたしで。 そんなことをぼんやり、「死ぬまでに」と考えていたことが、「いつ死ぬかわからない」が目の前に降ってきてしまって、どうしようもなく怖かった。 見返すとか、そんなんじゃなくて、ただ、感謝してることを伝えたかったし、あと一回くらい会えなかったらこの人生どうしようもなかった。 この程度のことが叶わないだなんて、もしそんなことになったら、恨めしくて。 その時「いつか」はないと思ったから、そう思って、少ししてから、会いに行った。 その時はいっしょにカレーを食べただけの時間だったし、思ったようにわたしとあの人に時間は流れていなかったから、少し拍子ぬけたりもしたけど、最後、バスが出るまで見送ってくれたことに感謝している。 「いつか」はないかもしれない、そう思うと、自然と、駆け出しそうになる。 駆け出せるわたしでいたいから、いまもまた、「死ぬまでに」なんて悠長なことを思っているあれやこれやに、むけて、むかっていかなくちゃいけない。 ありがとうひとつ言うのだって、簡単で難しい。 いえなかったら、どんなに後悔しなきゃいけないの。 それを忘れられることの方が、健全で安全で平和なんだけど、命の危機なんて、生きているひとみんなにあるってことをわたしは知っている。

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