top of page

*


自分が無(に限りなく近く)になって撮っている写真が多いからだろうか。 自分の写真フォルダを眺めていると、それを無意識に「読もう」として、読めるはずのないものを読もうとしてしまうからなのか、よくわからない不安が押し寄せるし、集中すればなおのこと胸が圧迫されたように実際に気分が悪くなる。 胸の内側にブラックホールを抱えてるみたいに、内側から削れて吸い込まれていくような。 写真そのものは、「普通」のものしか写っていない。 花とか木とか人とか、空とか。相変わらずだ。 なのに全部を順繰り見ていくと、ひどく混乱したあとのようになる。 脳みそがへとへとになっている。 毎度そうなるのがわかっているから、フォルダを開くことが、億劫で仕方ない。 開けばだいたい、ものすごく疲弊するのがわかってて、なかなかパソコンに向かう足取りが軽くなるわけがない。 いちまい、として見て、拾い上げていく作業はそれでもまだなんとかできて、組むとか紡ぐとかいう作業はその遥か彼方に位置するので、拾い上げる作業だけでへろへろになっているわたしに、いつ組み上げることができるというのか。 他人の悪い意味で理解不能な展示をみてモヤモヤするときのこころのおもさと似ている。 「読めない」は、いいときももちろんあるけど、それは読ませない作者の意図が明確であったり、その必要性がないものであったり、自分の力量として読めなくても、これは読めるようになっているとどこかで確信して、納得できるものというのはあって。 読めるようにしてあるであろうのに読めないというもののきもちわるさ(自分が感じる強いモヤモヤ)にはなぜかすごく参ってしまう。

最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
bottom of page