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  • 執筆者の写真: 莉江 藤田
    莉江 藤田
  • 2016年9月14日
  • 読了時間: 2分

自分は女であるし、それを不幸と思ったことはあまりない。 昔(小中学生あたり)は本当に男子が憎いレベルで嫌いだったような気がするし、高校になってふつうに「男友達」なるものもでき、男=悪 ではなくなった。 いつからか女子女子した女子や、オンナでしかないおばさんが苦手でたまらなくなり、女々しい男も大ッ嫌いになった。 まぁ、往々にして、男のひとは女々しいのだ、とも思ったけれど。 自分もそこそこに女々しい。そして、その部分は大嫌い。 同族嫌悪も相まって、きっと「女々しい」全般が大嫌い。 飄々としていたいけれど、なかなかできないから馬鹿みたいにしかできない。 けれど、自分自身の女々しいに近い部分でも、否定してはいけないなと思う箇所もある。 そのラインが微妙なところにあって、今その部分をまもってやらなくちゃならない時期のような気がしている。 そうすることって「女の強さ」だな、と思う。 やはり男の人の強さややさしさというのは、女には真似できないものがあって尊敬する。 それに憧れて見習おうと思うのだけれど、なかなかそうもできない。 時に、男っぽい自分に思うこと(いいこともわるいことも)もあるのだけれど、自分が男っぽくてもきもちわるいとは思わないけれど、逆に女っぽい気がすると気持ちわるいなぁと思うことはある。 あんまり、そう思わないでやってよね、と、近年自分に思うし、女であることを幸せのひとつに数えられるもののそんなだから、ケッタイなもんだと思う。 中性寄りな自覚はあるけれど、だからってなんでもなくて、人間、パーセンテージに違いはあれど、男っぽかったり女っぽかったりするわけで、自分のアイデンティティに亀裂がはいってるわけでもなくて、自分を生きるしかないもんだなぁと思っている。

 
 
 

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