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二十代後半の頃


多分、27、28歳頃が、人生の無双モードだったと思う。 二十代後半。仕事に慣れ、ある程度無理がまだきく身体。 好きなことをする時間とお金がこれまでになく、安定してきた頃。 けっこうなんでもできるし、おとなになって出来ることが、ものすごく楽しい。 自由だった。 しかも20代半ばから毎年更新するその楽しさの最大値。 出会う人々。むかう目標。

いつからこんなに、急に大人らしくしなければならないようなプレッシャーだとかを背負い、代わりにあの頃の無邪気さを落っことしたのだろう、と不思議に思った。 あの頃、楽しかったすべてのものが、わたしにとっては結構、人生ではじめてだったのかもしれない。 高校生も、本当に楽しんだ気がするのだけど、今も、その頃も、あまり、出来事ではなく、あの頃の感覚を覚えていないし、いなかった。 出来事は覚えているけど、他人事のように感じてしまう。 毎日楽しかった、卒業後、5年くらいは、ずっと、高校時代に戻りたい、と思っていたのは事実なのに。 それはさておいて、この5年で失ったものを考える。 27、28歳頃、このおかげで楽しかった、というものを実際に沢山、なくしたし おもいもよらないことは沢山起こったし 厳しい現実、自然災害だとか、世界情勢だとか、そういったことで滅入る事も多かったし チャランポランに生きているのに、しっかり、胸に巣食われる黒いものはあったという事でもあるし どうしたって伸びなきゃならない気がする、というプレッシャーに背中を押されて、自分の安心できる場所をほとんど全部、手放してここにいる。 仕事、家、もちもの、関係、いろんなこと。 必死に構築した自分の城壁を取っ払うような。 一度また生身にならなければ、と強く思った。 ありがたすぎる、のも、その上であぐらをかいてしまっていないか自分が少し怖かったりした。 単にいづらくなった場所もある。 今、ふと、「あの頃あんなに楽しかった」を思い出して、今、なんでこんなにそれらをまるっと失っていたのかと驚いた。 手放した以上に失った、気がした。 沢山悲しかったことが、その楽しかったなかにも、勿論あって、 けれど、当時より、今に、その悲しみの余韻みたいなものが、大きな振幅をもって、一見原因不明な大きな衝撃として、届いているような気もしなくない。 なんだったんだろう、あんなこととか、 今、すべてを休んでいるような状態だから、あの頃、忙しすぎた五感六感からはみ出していた、許容外になっていたからこそやりすごせたような大きな情感が、隙間を見つけて、この身体に戻ってきたみたいな。 まだ信じられないこととかもある。 お盆のころに、ふと、もう居ない身内のことを思い出して、もう居ない、ってやっぱりまだ信じられないんだけど・・・?と、想いをそのひとに向けてみたり。 酔っ払ってひっくり帰って、いびきをかいているお腹にダイブした子供のころの記憶とか、ふつうにまだ、そんなに遠くもないのに。 とかね。 そうやって、無双モード過ごしていた時期に、実際徐々にいろんなことがあって、数年後、こんなにあれもこれもまさかなくなると思ってなかったものなくすなんて思わないじゃない。 荒む心がどこからきたのか、大きなツケがくっついてきちゃってて。 実際、振る舞いがおとなになったかといえば、寧ろ子供になっているんだけれども、だからこそなのか、自分に大人を強いている気持ちがどこかすごく強い今なのだと思う。 明日がくることを呪わずに生きること。 いやぁ、よく失った5年だったんだわ、ほんとう。 無双だった頃、少し思い出したけど、その時なりのしんどさってのはあったけど、あのどこか無敵みたいな気持ち、またいつか、出会えるのかな。 またあんな日々が、数年おきにでもやってくるというのなら、明日を呪わずに生きていけると、思うんだけどな。

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