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最近、写真についてどうしたって考えることばかりで(もともとそうだけれど、実践がないという意味で)撮る、見る、を繰り返しながら、写真に与えてもらった自由と、写真によって奪われた自由と、そのイメージは鎖で楽園に繋がれた感じだなぁ、と、思う。

こんなしあわせを知らなかった、こんな可能性を知らなかった、という楽園みたいな部分と それを感じながらも、なにかもどかしいというか、どうにもならない見えない壁とか、体の重さとか、そういうものからは解放されない現実と。 写真に出会えていてよかったと思う。 どうせ生きてることなんて8、9割苦しいばっかりなのだから、それなら苦しむにしたって、楽しいことに苦しみたい。 好きで苦しんでるだけなんだし、この苦しみなんて望めば手放せるんだよ?って、使う気などないが、そういう保険がある。 生活していくこととか、将来とか、そういう生き地獄みたいな苦しさしかないより、こういう楽園に繋がれたみたいな苦しさが半分、苦しさを担ってくれた方がしあわせというもので。 全然、不幸じゃない。 そう思いながら、それが本心だからこそ、 まだそんなところに居るなら、どうしようもないよね、先は気が遠くなるほど長いよ? と、もうひとりの自分の声がするのも、聞こえている。 そういえば、全部、たいしたこと、なんて、何もなかったんじゃない?ぱたぱた、晴れた空から急に雨が降ってきたみたいに、そういう気持ちになることもある。 いきてることはしんどいから、たまに狂ってしまったのかなぁ、と思うくらいに、全部から解放される瞬間がある。 そういうのはほんの数分だけ、年に何回かだけ訪れる感覚だし、何が見せてくれる幻覚なのかはわからないけれど。 そういうときに、そのまま溶けてしまえたらどんなにいいか、と、頭をかすめ、この感覚は今からまた去りゆくものだと思い出して、すぐにまた地面に戻ってくる。

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