

「誰か。」
「誰か、」というのが好きではない。 「誰か」など居て、居ない。 わたしから見て、見える誰かは「あなた」 わたしのしらない「誰か」しか、「誰か」ではない。 ヒトの存在を求める時、「誰」でもいい、って、だいたい、いつも思えない。 #2017 #RX100 #雑記


春。
日中にはじりじりと日焼けを気にしてしまうような太陽。 空気は少し冷たくても、確実に春の気配のメルボルン。 たまに、桜を見かける。 少しずつ、生活がまたリズムを持ってきた。 朝、起きて、夜眠る。 一時期うまく眠れない日々が続いて全ての歯車が悪い方に噛み合っ...


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もともと、あまり出歩かないタチだ。 かといって、家にはあまり居ないのだけど、決まったテリトリーのような場所だけで生活するのが好きだ。 あたらしい場所、あたらしい出会い。 いい響きだけれど、わたしがきちんと愛を込めて見つめられるものは少ない。 ...


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いろいろなことが、ものすごくどうでもよくなる。 反対に、くだらないことばかり、こだわってしまう。 諦めよう、と、何度思っただろう、こっちへ来る前からだけど。 諦める、というと消極的な気がするけど、そうじゃなくて。 ...


あたらしい友達
こちらでは、いつでも新しい出会いがある。 1、2回同じパーティーに同席したりでもしたら、もう「友達」 まさに、「友達の友達は友達」状態。 常に誰もが「join us!!!!」で迎え入れられる。 しかも、常にどこかでだれかがパーティーを企画・実行している。 ...


目の奥を切る
感情的にならないように自分が努めている時、というのは、目の奥と脳の間に網があるような感じがする。 ぼぅっと遠くを見ている時に目の奥に力が入っていない感じを敢えて作る。 脳みそに流れてくる情報のスピードをゆるやかに、又、少しばかり曖昧にして受け取る。 ...


取り返しのつかないことがしたいの。
最近、そう思う。 なんというか、毎日取り返しのつかない時間を生きているのだけど、自分だけのために、自分を取り返しのつかないところに、押しやってしまいたい。 そんなことを、ふと、深夜の横断歩道の信号が変わるのを待ちながら考えていた。 ...


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今の生活は、野菜を育てる時の摘心のようなことをしているような自覚がある。 少し遅すぎた摘心だけれども。 ヒトとヒトとの意味のあるようなないようなやりとりを、無駄だとぶったぎってきた自覚がある。 全てではないにしても、随分と。 ...


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むかし、こわかったたくさんの事は、随分とこわくなくなってしまった。 何に安心し、何に対して諦めたんだろう。 いくつかは想像に及ぶのだけど。 そしてむかしは何とも思わなかったようなこと、気にならなかったようなことを多少こわがるようにもなった。 ...


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普段やれないことをやろう、と、言ってやっているのは読書だとか散歩だとか音楽を聴くだとか。 読書は純粋にできて嬉しい。 時間を無駄に過ごしているばかりなので、本を読めると充実感がある。 こっちにきて「向いてない」ということばかりやっている気分で、他人と暮らすことも...