

*
日本を離れたけれど、毎日同じようにツイッターを眺め、FBを眺め、LINEで話し、彼らと同じ話題に思考を巡らしたりする。 そうするとやっぱり、創りたくなるなるのは思考をめぐらせて 燃やして残った燃えかすについて なので、どこかちぐはぐで不思議なことになる。 ...
渡航後、覚書2
前日のつづき。 とはいえ同日に書いたのだけど、長すぎるので分断。 日本から出て英語を学びに来た、というのがわりと大きな大義名分だけれど、わたしはことばというよりも日本語に依存しすぎているし、日本語の日本語らしい文脈という枠組みの中でつくることをしていて、自分は2000パー...
渡航後、覚書1
京都へ越してすぐの頃、一番感じたことは「ここはどこなんだろう?」ということだった。 住んでいながらにどことなく地に足がつかない感覚が暫くあった。 今、メルボルンに来て一番感じる事はというと「だから何なんだ?」ということだ。 ここが外国だから何なんだ。英語だからって何なんだ。 ...


*
こどものころ、犬か猫と暮らすのが夢だった。 今は然程は望まない。 変わらず好きだけれど、必要になるお金や時間、家を空けられないなどの制約がかかることとを天秤にかけ、その選択をしない。 しかしまあ、ほんの短い間だけれど、夢がかなっていて、その短さというのは寧ろ好都合で...
*
知った人が誰もいない場所に身をおくことは、とても落ち着く。 無理をすることはないのに、いつもより自然と『きちんと』する。 自分はなにを求めているのか、よくわからないけれど、もしかすると、ただこの穏やかさなのかもしれない。意外と、飽きることなくこの平穏を歩いていける気がする。...
*
果たしてそれはいつからだっただろう。 つらさ、というものの味が 甘い ということを理解したのは。 もともと、全く味がするものではない。 辛いと書くけれど、からくもない。にがくもない。 ある日突然、甘くなる。 甘いと知る。 * 考え事をする。 塞いでしまうくらいに。...


「いのりのかわりにうそをつくこと」
先日まで開催していた個展のうちの1つ、「いのりのかわりにうそをつくこと」 bunchコーナーにUPしました。(この写真は昔のもので、関係ありません) 会場では単体でよりも、もうひとつの展示と一緒にみて欲しかった展示ですが(内容には一切絡みはないのですが)webではこ...


AUTOCORD
わたしが写真をはじめたのは2008年の6月。 携帯カメラからはじまって、ニコンD40(デジイチ)、チェキ、Box型のポラロイド、HOLGA、SX-70、AUTOCORDという感じで入手して(記憶が確かなら)使っていた。...
*
ひとに、自分の中にある何かを解ってもらう、ということは本来不特定多数のひとに向けてというよりも、もっとこじんまりとしたコミュニティの中、若しくは、個人対個人の間で行われるものばかりなのだろうか。 それは、パートナーであったり、親友であったり、親であったり、そういう、ごく近し...


雑記というか覚書みたいな
コンセプチュアル、というほどコンセプチュアルな写真は撮れ(ら)ないのだけれど、比較的それに近い思考回路で以ってつくるものを含めても、自分の場合、ほぼ全て「あ。」という地味な衝動からくるスナップであり、ブツ撮りさえも、ブツ撮りと呼べるような、そのものをどう見せたくてどう撮るの...